間に合わなかった・・

正直、今日この内容を書くかどうか、とても悩みました。

私は、悲しいことをSNSなど表に載せるのが、あまり好きではないのです。

でも、これは事実で、これまでにもメルマガ内で少しずつお伝えしてきたことでもあり、

今の私の正直な気持ちでもあるので今日は書くことに決めました。

もしご気分を害されるようであれば、こちらで読むのをストップしてくださいね。

先週、私の最愛の祖母が空へ旅立ちました。

これまでブログを読んでくださっている方は宮崎の祖母のことを覚えていてくださるかもしれませんが、

簡単に紹介させてください。

私は、祖母の初孫として生まれたので、小さい頃からめいいっぱい可愛がってもらいました。

だから私は、もう根っからのおばぁちゃん子。

すぐ近くに住んでいたので、たくさん育ててもらいました。

小さい頃は何回も泊まりにいって、農業を営む祖母と畑に一緒にいったり、

歌ったり、ご飯食べたり、お風呂に入ったり。

特に祖母と一緒に寝るととてもあったかくて、いっつも隣にくっついて。

祖母の愛に包まれながら安心して寝るあの特別な瞬間が大好きでした。

そんな祖母は、少し前にした病気の影響で足が悪くなり、

移動は車いすが必要な状態でした。

だんだん体が弱っていくのが目に見えてわかっていたのですが、それでも私は、「今しかない」と思って、

80オーバーの祖母を2回も宮崎から滋賀へ連れ出し、関西旅行に出かけました。

体力的には決して楽ではなかったと思います。

それでも一緒に景色を見て、同じ空気を吸って、同じ時間を過ごしました。

ひ孫たちとのかけがえのない時間、いっぱい笑って笑顔で過ごしました。

その帰り際の車で「次はどこいきたいと?」って聞いたら、ビックリする答えが返ってきたんです。

「わしゃ、アメリカにいっぺんでいいからいってみてぇ。昔からの夢じゃったとよ」と、

祖母がぽつりと言ったんです。

その一言を聞いた瞬間、私は決めました。

「じゃあ、行こう」

去年、祖母をグアムに連れて行きました。

家族4世代の大旅行です。

海がきれいで、観光もショッピングも一緒にしたし、

お揃いの服でダンスのショーも見に行ってきました。

祖母はだんだんと認知の症状のようなものが出てきて介護が必要な状態だったので、

正直、簡単な旅ではありませんでした。

体調の問題、移動の不安、想定外のトラブル、たくさんありました。

飛行機では酸素マスクが必要になり、現地のレスキュー隊や救急車まで出動する事態にまでもなり、

冷や汗かきました。

でも、私が持てるすべての力を使って全力でサポートしました。

結果、祖母の笑顔を見ることができ、

忘れられない思い出を一緒に作ることができたんです。

今、祖母が亡くなって心から思うことがあります。

あの時、やっておいて本当によかった

もしあの時、色んな事を理由にして

「大変だから」

「もう歳だから」

「無理かもしれないから」

そうやって諦めていたら、きっと今も後悔していたと思います。

祖母と作ったたくさんの思い出は、色あせるどころか、

キラキラと、心の中でとても色鮮やかに残っているんです。

だから、魂は今もそばにあるように感じます。

あのタイミングを逃していたら、もう移動することすら難しくなっていたと思うんです。

だから本当に、「最後のタイミング」だったんだなと今になって強く感じます。

改めて思いました。

今やりたいことは、今やる。

今が、人生で一番若い。

この瞬間を逃したら、同じタイミングはもう二度と来ないかもしれません。

年齢も、できるかどうかも、本当は関係ないんですよね。

一番奥にあるのは、あなたがどうしたいか

それだけです。

私たちの時間は有限で、人生には、必ず終わりが来ます。

だからこそ、「やりたい」と思った気持ちに、正直に生きてほしい。

気づいた時には、もう遅かった、間に合わなかった、とならないように、

やりたいことは、今やる。

会いたい人には、今すぐ会う。

行きたい場所があるなら、今行く。

やりたい!という自分の気持ちを大事にしてほしい、と思います。

だって、人生は一度きりだから。

私は、これからも「今」を生きる選択をしていきます。

このブログを読んでくださったあなたも、

何か一つでいいので、あなたの今の気持ちを大事にして、

自分のために行動してみてください。

今日は、そんなことをどうしてもお伝えしたくてこのブログを書きました。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

PS.

今日のタイトル

「間に合わなかった」という言葉には、

もう一つ、私の中で大きな意味があります。

実は、おばあちゃんの“最後の瞬間”

に立ち会うことはできませんでした。

それでも、知らせを受けてすぐに動き、始発の飛行機で帰り、

最後のお別れをすることはできました。

不思議だったのは、そのタイミングです。

仕事に大きな影響が出るようなこともなく、調整に追われたりすることもなく、

私は何の支障もなくすぐに、滋賀から宮崎へ帰る決断と行動ができました。

まるで、「今なら大丈夫だよ」そう言ってもらっているような感覚でした。

きっと、祖母が見ていてくれたんだと思っています。

おばぁ、ありがとうね!

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