はじめまして。浅井歩美と申します。
生まれも育ちも宮崎県。日本人に見られないことも多いですが、生粋の日本人です。
英語で失敗した過去
中学校までは英語は得意な方だったのに、高校になってとたんに苦手になりました。
一気に単語が難しくなって、覚えられない。
文法がわからない。英文がどんどん長くなって、もう全く何言ってるかさっぱりわからない、、、、
そして、最悪の結果を招きました。
センター試験、英語で完全に失敗!
英語がめいいっぱい足をひっぱり、第一志望大学にはいけず。
自己採点で手が震え、涙を流したのは今でも忘れません。
大学では、1ヶ月間のオーストラリア交換留学に行きました。
憧れの海外!留学!
ですが、、、、
一緒に申し込んだ日本人の友人とばかり行動していて結果、
全く英語が話せるようにはなりませんでした。
1ヶ月で身に付いたのは体重だけという悲惨な結果に終わりました。
働き方と仕事内容が人生の幸福度に関わると気づいた社会人
教員免許を取得するために大学4年生で行った高校教育実習。
そこで、「人に何かを教えるって楽しい!」ということに気づき、
卒業後は英語の教員免許を活かして
九州の大手進学塾で英語講師として働くことになりました。
生徒数は約1000人、1クラス最大40人の小中学生に対して
英語の授業を行っていました。
子供達とふれあい、英語を教えることは好きでしたが、
ブラックな働き方で体調不良になってしまい、退職。
平常時9時~23時で週6勤務、帰宅すると日をまたいでる毎日。
さらに、教師用テストが課せられ、帰宅後や休日はそのための勉強をしなくてはならない、、、自分の時間はほぼありませんでした。
これらに加え、夏期講習時や受験前は週7勤務に。
↑どうやってこなしていたのか自分でも覚えいてません。
身体が資本であるとつくづく実感しました。
その後は壁材メーカー勤務(営業事務)に転職しました。
仕事内容はとても楽しかったのです。
が、英語を一切使わないデスクワーク作業に対し、
自分の能力を生かせていないと感じ、1年で退職。
これまでの働き方や仕事内容から自分の人生はどうあるべきかを考え直すきっかけになりました。
退職して半年後に日本脱出、オーストラリアへ
これから何がしたいか?を考えたときに
「自分にしか出来ない自分らしい仕事がしたい」と考えるようになりました。
つまり、「英語を話す仕事をする」という夢を描くようになりました。その当時、私は英語を教えることはできても、英語が話せませんでした。
だから、意を決してまた再びオーストラリアに行こう!退職した1か月後に決めたのです。
留学という選択に至った理由は、求める英語力の取得と英語を話す仕事の両方が得られる最良の選択と考えたためです。
「今、行かなかったら、将来絶対後悔する」と思い、思いきって決断した25歳の春でした。
前職を退職して6ヶ月間は渡航準備をしました。
「英語を話す仕事をする」という夢に向かい、
英語力含めて日本に居る間に可能な限り準備をすることとしました。
一般的に留学となると、エージェントを通して手配し、現地で語学学校に通うというステップを踏む方が多いように思います。
でも、私は違いました。
やるべきことを洗い出し、スケジュールを落とし込んで実践していく日々の中で、敢えて留学先で語学学校に通う選択肢は捨てるという判断に至りました。
また、留学手続きに関しても、結果的にエージェントに頼ることもなく全て自力で手配出来ました。
そして、「必ず4カ月で現地の仕事に就く」という強い決意から、生活費4カ月分のみをにぎりしめ、25歳の秋、渡豪しました。
英語が話せなかった私が現地の仕事ができるように!
渡豪して4カ月後には仕事からの収入を得る必要があり、そのための英語力を身に付けるべく、様々な努力をしました。毎日英語で日記を書き、ホストファミリーに添削してもらいました。
また、現地の無料英会話コミュニティやイベントに参加したり、積極的に海外の友達を作ったり、日本語教師のボランティアアシスタント仕事をしながら日々英語力を鍛錬しました。
滞在3カ月目以降からは、新聞やネットの求人広告を見て、条件に合うもの全てに応募しました。
また、自分のresume(履歴書)を大量に印刷し
ショッピングモール内のカフェやショップ全て訪れ、
求人募集してないかと1件1件尋ね回りました。
結果、5カ月目には現地の仕事を行うようになりました。
このころから旅行なども積極的に行くようにしました。
「現地ガイドの英語ツアーに参加する」「宿泊する場所も共同部屋にして海外のお友達を作るチャンスにする」など、できるだけ英語に触れるようにこだわりました。
全ての出会い、目にしたもの、直面する出来事が英語による学びとなり、貴重な経験となりました。
これらの取り組みは帰国までに4つの仕事に就くという成果に繋がりました。
4つというのはこちら↓
- コストコでの試食販売員
(↓コストコで枝豆を売っている)
- 国立美術館内にあるカフェのウェイター
(↓オーダーからコーヒーを運ぶまで英語で対応)
- ラグビースタジアムのフード&アルコール販売
(現地でアルコール販売の資格も取りました) - 現地小学生に日本語を教える家庭教師
そして、1年間のオーストラリア留学後、
1ヶ月間のアジア周遊女子一人旅を経て日本へ帰国しました。
ちなみに行った国と都市はこちら↓
出国はオーストラリアの西にある都市パースより
→インドネシア(バリ、ジョグジャカルタ)
→タイ(バンコク、アユタヤ)
→ベトナム(ホーチミン)
→カンボジア(プノンペン、シェムリアップ)
→ベトナム(ハノイ)
→日本帰国
(↑インドネシア、ジョグジャカルタにて)
(↑タイ、バンコクにて)
帰国後に、自分の今の力を試すために試験を受けました。
そして、英検準1級合格、TOEIC935取得するに至り、
この1年の自分の英語力向上の成果を感じました。
帰国後、ライフスタイルの変化と自分の思いとの葛藤
帰国してすぐに結婚しました。
英語を勉強していた彼とは実はオーストラリア留学直前に出会いました。
お互いの英語力を高めあえるように努力して、留学中は日本に居ながらも一番近くで私を応援し、支えてくれていたので、これからは彼との生活をベースに考えてもよいと思ったのです。
結婚をして家庭を持ち「家族との時間を大切にする」という思いは強くありましたが、「少なくとも英語を使った仕事がしたい」と考え、悩んだ末にカレンダー通りの勤務時間で、且つ英語が使える貿易事務の仕事をすることにしました。
しかし、実際に英語は使うものの、デスクワークばかり。
メールやチャットでのやり取りが99%、英語の定型文を使えば大体成り立つ、英語の書類はボタンで自動作成。
オーストラリアでの経験が全く活かせておらず、正直「自分にしか出来ない自分らしい仕事」ではありませんでした。
海外で得たスキルや経験を活かして誰かの役に立ちたい、夢を叶えた時の達成感を皆に教えたいという思いを常に持っていたのですが、今は目の前の与えられた仕事をこなそうと、その思いは封印しながら毎日勤務していました。
その仕事に就いて約2年後に、第一子を出産しました。
育休明けの職場復帰後は目まぐるしい程大変でした。
その仕事ではフルタイムが求められていたので、朝7時過ぎに保育園に預けて夕方6時ギリギリに迎えに行き、習い事、ご飯、お風呂、9時に寝かしつけ…と時間に余裕のない毎日。
思っていた以上に子供と接する時間が少ないということに気づきました。
自分の心にも余裕がなくなり、「あれ?これって私のやりたいことなの?」
そう思っていた時に、第二子を妊娠→出産しました。
そこで、私と家族の今後の人生、あり方を更に深く考えるようになりました。
「家族との時間を大切にしたい」、そして「自分にしか出来ない自分らしい仕事」を生涯していきたい。
このまま会社員を続けていては実現できないと思い、育休後の復帰を断り、一歩踏み出して開業届を提出し、起業に至りました。
やっと見つけた私にしかできない私らしい仕事
そしてたどり着いたのが「英語コーチ」
時間や場所を選ばずにオンラインで英語を教えるスタイルでセッションを開始しました。
サポートしている生徒様の多くが英語初心者で実生活では海外との繋がりもほとんどないという状態でした。
しかし、共通してある思いを持っておられました。
それは「英語が話せるようになって、仕事に生かしたい。
自分を変えたい」ということ。
私がこれまで体験してきた世界。
それは、「使える英語」が身に付いたことによって、
- すぐに仕事や実践の場に生かし自分をアピールするチャンスを多く作ることができた。
- 英語ができなかったら交流できていないような人と知り合うことができ、海外の文化や習慣を知って知見を深められた。
- 人との付き合いの質や幅が変わり、人生が確実に豊かになった。
ですが、ここに至るまでの私の行動を振り返ってみると、
- 必死に勉強しても
- 短期留学しても
上手くいかなくて、もがいて苦しみ、それに立ち向かいながらもまだ上手くいかなくて、の連続。
しかし、結局は
- 勉強のやり方が間違っていた
- 英語の使いこなし方って全く考えてたものと違った
- グローバルマインドという視点をもったコミュニケーションや
- 海外の文化ってこうなんだ!
とわかってからが英語力の伸びが早かったんです。
それがわかるまでにすごく長い時間とお金をかけてきました。
そして、これまで会社を転職したり、留学して、たくさん遠回りをしてきました。
私がかけなくてよかった時間やお金、しなくてよかった遠回りをこれから私と出会う、英語習得に悩みを持ち、英語を仕事に生かしてキャリアを積んでいきたい方にはメリットに換えて欲しい。
英語が全く話せない人でも、初心者の人でも諦める必要なんてないんです。
- 自信をもって英語を話せるようになりたい!
- 英語をビジネスや人生に生かしたい!
- 英語を使って憧れの生活を手に入れたい!
「使える英語力」を手に入れて人生の選択肢を自分の手で増やし、豊かな人生を送れるようになりたい方々をこれから全力で応援したいと思い創ったのが
「グローバルマインド・イングリッシュカレッジ」
このコースでは「使える英語力」を身につけることができますがそれだけを目標にはしていません。
なぜなら、「英語」は人生を豊かにするツールの1つにしか過ぎないからです。
「使える英語力」を身につけることによって
- 自己成長の基礎となる、よい習慣・自信が得られます。
- グローバル社会で通用する見方・思考パターンを変革するマインドが得られます。
- 何億人の人とコミュニケーションがとれる機会が自然と訪れます。
- その機会が自身へさらなる変化を与え、よい結果を生み、人生を変えていくことに繋がります。
「未来の国際舞台で活躍できる人を創る」という志命を実現するために
私と出会った全ての人の人生をぐんと良い方向に変えていけるようなサポートの提供を開始しました。
コーチングを正しく学び、サポート体制を強化
事業を開始してお客様と深くお付き合いさせていただくことで「英語は人生を豊かにするツールの1つにしか過ぎない」ということをより強く感じるようになりました。
「使える英語力」を身につけることはお客様の人生の豊かさに繋がることには絶対的な自信がありましたが「豊かな人生」の定義は人それぞれ。
使える英語力をどのように豊かな人生に活かすかはお客様任せになっている部分が少なからずありました。
この部分を内省し「コーチとしてお客様の豊かな人生の定義を正しく理解し、よりよいサービスを提供したい!」と考えるようになりました。
そこで、基礎からコーチングの学習を開始しました。
コーチング関連図書を買い込み、コーチとしてのマインドセットの在り方をインプットしていくとともに、アウトプットの場を求めてコーチング塾に1年間通いました。
得られた知識はすぐにお客様に還元すると共にお客様からのフィードバックから学び、不足している部分は学習することで連続的なサービスの向上に努めました。
今では英語分野のみならずお客様の「豊かな人生」の実現に貢献するライフデザインコーチとしても活動させていただくまでになりました。
しかしながら、学びを止めることはありません。
引き続きコーチとしての在り方を見つめなおし、お客様の豊かな人生により貢献できるように努めていきます。
親子留学サービスの展開
長男が5歳になり多くのことに関心を示すようになると「より広い世界を見せてあげたい」と思うようになりました。
教育という価値観を大事にしており、子供を授かった時から「親として子供の可能性を最大限引き出してあげたい」 と考えていました。
そのため、長男が0歳から公文を習い始め、順次本人の興味関心を観察しながら多くのことに挑戦させ、5歳の時点では「公文を2教科」「そろばん」「ピアノ」「タブレット型教材を3教科」の習い事を行うに至りました。
このように、日々の教育に力を入れてきましたが、私が留学先で得た価値観や文化の違いに関する受容性やグローバルで広い視野なども、出来るだけ早い時期に肌で感じ取ってほしいと考えていました。
というのも、私が25歳を過ぎてから得たことを、もし幼少期に得られていれば、より視野が広がり人生の選択肢が広がったと感じていたためです。
そこで、親子で留学に挑戦する決断に至りました。
コロナウイルスが沈静化に向かい、ある程度の自由な渡航が再開するこのタイミングで海外の学校での体験を贈ります。
ここで、自身の長男のみならず「未来の国際舞台で活躍できる『次世代』を創る」という使命に駆られました。
私の「留学経験×英語コーチングスキル」を次世代の育成にも貢献したい!
親子留学をサービスとして展開させていただき、未来の国際舞台で活躍できる次世代を創る一翼を担うことができれば…こんなに素晴らしいことはないとワクワクが止まりませんでした。
居ても立っても居られず、サービス提供に必要となることを調べると「旅行業に関する国家資格」が必要であることがわかりました。
この時点で試験まで3か月、目安となる学習時間は300時間、、、月100時間の学習でよいなら私は受かる!
すぐに参考書を買い揃え、独学での学習を開始。
当時は事業と家庭に加え、第三子を妊娠中であり、学習を開始するとかなりハードな毎日となりましたが、試験までに300時間以上の学習時間を確保し無事に国家資格を一発合格しました。
これからさらに多くのお客様に貢献できるように尽力してまいります!
Beyond You株式会社の設立
創業から約2年間、全力で駆け抜けてきました。
おかけさまで多くのお客様から信頼され事業規模も大きくなってきております。
また、今後の事業拡張計画を念頭に検討を進めた結果、株式会社の設立を決断しました。
会社名は「Beyond You株式会社」としました。
これは「お客様が自分自身を超えて夢を達成することに貢献したい」ということを願って命名しました。
創業期は英語関連の事業展開でしたが、今後は英語分野はもちろんのこと、その他の分野でもお客様の夢の実現に貢献できるサービスの提供に挑戦していきます。
英語関連分野の事業は創業当初からの「グローバルマインド」をブランド名として継承しております。
引き続き「グローバルマインド イングリッシュカレッジ」をよろしくお願いします。
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